レーシングドライバー
佐藤琢磨氏
同年渡英、99年Fオペル・ユーロシリーズで雨のレースはすべて優勝。2000年カーリン・モータースポーツよりイギリスF3選手権に参戦、シリーズ3位。01年BARホンダのテストドライバーを務めながら、イギリスF3選手権で12勝を記録し、シリーズチャンピオンに。また、F3世界一決定戦のマルボロ・マスターズを制し、伝統のマカオGPでも優勝。
02年ジョーダン・ホンダからF1デビュー。日本GPで5位入賞。03年テストドライバーとしてBARホンダの正ドライバーに昇格、
ヨーロッパGPで日本人初の予選フロントローを獲得、アメリカGPで3位表彰台に上がる。06~08年スーパーアグリF1より参戦。10年より現在、インディカー・シリーズ参戦。2011年はポールポジションを獲得するなど、自己ベストを塗り替える記録を残す。
トップに立つものが持つ絶対条件
トップに立つものが持つ絶対条件
本日は、2002年から2008年にかけて、日本人では7人目のフルタイムF1ドライバーとして活躍され、現在はインディカー・シリーズに参戦、今シーズンは日本人初となるポールポジション(予選一位)を獲得するなど、自己ベストを塗り替える記録を残された、レーシングドライバーの佐藤琢磨氏にお越しいただきました。アチーブメントは、2010年より琢磨さんとのご縁をいただき、チャレンジを応援させていただいています。昨年、日本は未曾有の大震災を経験し、震災は多くの人の胸に傷跡を残しました。また、国の借金は膨らみつづけ、65歳以上の人口が21%を超える超高齢社会に突入しています。様々な課題が噴出していますが、それでもなお、まっすぐに前を見て歩んでいくこと、目指すことの大切さを、モータースポーツ界の最高峰の舞台を走り続ける琢磨さんから、お話しいただきたいと思っています。
本日はお招きいただき、ありがとうございました。僕とモータースポーツの出会いは、1987年秋の鈴鹿サーキットでした。日本グランプリとして、F1が日本ではじめて開催された記念すべき大会で、僕は当時10歳です。僕は幼いころから自動車が格別に好きだったのですが、それを知っていた父の友人が、日本グランプリに誘ってくれたんです。巨大なサーキット場の持つ雰囲気に圧倒されて、目の前を走り抜けるF1マシンの音とスピードに、立ちすくんで動けなったことを覚えています。圧倒的な迫力に魅せられて、それ以来、虜になってしまい、あの時の興奮がいまも体の中に残っていて、自分をつき動かしているといっても過言ではないですね。
1987年秋の出来事は、まさに琢磨さんの人生を決めた経験になったということですね。奇遇だなと思ったのですが、アチーブメントの創業も実は、1987年の秋だったんです。当時はまだ社員数たった5人からのスタートでした。それが今、こうして琢磨さんを応援させていただいているわけですから、ご縁を感じますね。
そうだったんですね。すごい偶然です。鳥肌が立ちました(笑)。
「夢」を抱き、アタックを続ける
高校3年生の時、自転車競技でインターハイに出場されて、優勝されましたよね。自転車競技を始められたきっかけは何だったんですか?
自転車は幼いころから大好きでした。でも、競技の世界を知ったのは高校からです。それで当時、よく通っていたサイクルショップの店長にロードバイクのレースに誘われたんですね。レースと聞いて鈴鹿サーキットで感じた興奮が蘇ってきて、それからは毎週末クラブ員のみんなと練習に励み、いろいろなレースに参加していました。そのうち、全国レベルの大会に出てみたいと思うようになり、学校の先生に頼み込んで顧問になってもらって自転車部をつくり、顧問ひとり部員ひとりでインターハイを目指しました。
そこから優勝を狙ったんですか?
はい。やるからにはトップを目指すと(笑)。東京都大会で優勝して、インターハイ行きのチケットを手に入れたものの、関東大会でメッタ打ちにやられてしまって。決勝では転倒に巻き込まれて血だらけになりながらレースに復帰する有様でしたよ。
果敢なまでのレーシングスタイルは今と変わらないですね。しかし、スキル不足、パワー不足をどう克服したのですか?
夏休みの間だけ、自転車部のある他校に書類上の転校をして、夏合宿に参加させてもらいました。 また、自分には参加資格のないジュニアオリンピックなんかに出かけて、他の全選手の走りをビデオで研究して、その後のインターハイに臨みました。僕は体が大きくないので、競り合いになった時に、スピードが伸びない。だから、みんなが速度を上げる前に、先に逃げてしまおうと考えました。これは空気抵抗を一身に受けるので、体力が消耗するリスクがあるんです。でも、アタックすれば、1位になる可能性は確実に広がる。その可能性に賭けました。最終的には、2位になった選手以外追いかけてくることなく、そのまま逃げ切り、優勝することができました。
琢磨さんのモットーでもある、「ノーアタック、ノーチャンス」をまさに体言するエピソードですね。「レースをしたい」という強い思いを持ち、自転車部をゼロから立ち上げ、そこから、インターハイ優勝。究極の可能思考ですね。その後、琢磨さんは、19歳という年齢で自転車競技からモータースポーツに転向されましたよね。幼いころ衝撃を受けた世界に引き戻されたわけですが、不安や恐れはなかったのですか?
自転車競技では本気でオリンピックを目指していたんですが、同世代の人間がレースデビューして、メディアに取り上げられているのを見て、すごくうらやましかったんです。そんな時、鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(以下、SRS-F)の存在を知りました。自転車競技と出会った時と同じく、僕の心は「これだ!」と叫んでいました。
心の奥底に眠っていたF1に対する思いに、再び火が点いた瞬間ですね。
ええ。SRS-Fは、成績トップで卒業すれば、上級カテゴリーのレースに参加できるプログラムになっています。モータースポーツ未経験の僕としては、F1マシンに乗るにはこの選択肢しかない。募集の年齢制限は20歳で、僕はラストチャンスだったので、迷いはありませんでした。
評価対象となる実績がまったくなく、年齢が上であるほど、不利なわけですよね?
はい。自分にとっては入校することが、最大の難関でした。倍率は10倍でしたが、カートのヨーロッパ選手権を走る選手だったり全日本チャンピオンだったりと、実績のある選手ばかりが応募していました。自分はカートの経歴が数ヶ月、年齢制限もギリギリ。このままでは100%落ちると思ったので、「短くてもいいので面接をしてほしい」と少しでも可能性を広げるために、選考ルールの変更を申し出たんです。そして、自分の想いを、精一杯伝えました。それだけ積極的になれたのは、10歳の時に出会った夢のためだったと思います。
願望に対する熱意、そして、選考方式そのものも変えさせてしまう挑戦の姿勢がここでも発揮されたんですね。チャンスを必ず手中に収めようとする琢磨選手の気迫と心意気には圧倒されますね。
周囲に対する感謝が、道を拓く
琢磨さんのお話は非常に明快なうえ、パッションを感じるんですよね。その分野をよく知らない者でも惹きこまれます。目指す気持ちが、人々の心を打つのでしょうね。
ありがとうございます。ただ、インターハイに出場できたのも、レーシングスクールに入学できたのも、両親の支えはもちろん、自転車部の顧問になってくれた高校の先生をはじめとする、色々な人に支えられたからだと思っています。だから、感謝の気持ちは常に持っています。そして、感謝に報いるためにも、ベストを尽くして、限界を突破していく。そう考えてきました。
今、さり気なくおっしゃったことが、成功の本質ですね。支えてくださった、用いてくださった方々への感謝を忘れず、感謝を原動力として最善を尽くす。それは、周囲の人がその人を本当に支援したくなるような目に見えない力になります。ここまでこられたことを、ある人は運がよかったとか、実力だと言うと思うんです。でも、琢磨さんは感謝だと言う。私は、感謝がチャンスを引き寄せるんだと思いますね。感謝の気持ちを携えているからこそ、チャンス、つまり、飛躍の時が与えられ、未来への道が拓かれる。特にモータースポーツは、エンジニア、スポンサーと多くの方々のサポートがものすごく重要な競技です。多くの人の支えによって走っていると考えられることが、世界を舞台に活躍できる理由なんだと感じました。
そうですね。夢を描き続け、そして挑戦することが重要であることは変わりませんが、青木さんがお話しくださったとおり、感謝の気持ちはとても大事なんだと思っています。たくさんの方々に支えられていることの自覚ですね。レース一点に力を注ぐことができるのも、支えがあってのことですし、その支えがないと自分としてもがんばれません。自分ひとりの力は、あまりにも微力です。
人は、完璧完全にはなりえないし、なる必要もないと思います。しかし、その領域においてトップを目指す崇高さ、そのために挑戦をやめない「ノーアタック、ノーチャンス」の精神、そして、自分を支えてくれる人々に対する感謝の心は、周りの人間の心を打ちますね。そうやって周囲を巻き込み、力を借り、高みを目指していく姿勢そのものが、「トップに立つ者が持つ絶対条件」と言えるでしょうね。社員や顧客、取引先と、多くの人々のサポートを得て進んでいく経営者の姿と琢磨さんの姿がかぶります。琢磨さん、最後に、読者へのメッセージをお願いできますか。
人生において、確かに不可能なことってあるかもしれない。ただ、できなかったということは、結果論で不可能だっただけであって、やったことによって絶対に何かを得て、次の扉につながっているんだと思います。目指したことによって、次の道が必ず拓けているんです。だから、不可能に思えることでも、夢があるなら、やっぱり諦めないで、「ノーアタック、ノーチャンス」の精神で挑戦し続けていただきたいです。僕もまさに目指している真最中。苦しみ、もがきながらも、これからも前進していきます。
海を越え、チャレンジしている琢磨さんの姿に、私たちはいつも勇気をいただいています。これからもがんばってください。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。