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中小企業庁 長官
山下 隆一氏
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アチーブメント株式会社 顧問 木俣 佳丈氏
- アチーブメント株式会社 代表取締役会長 兼 社長
青木仁志
今必要なのは「デフレマインド」からの脱却
成長経済の日本へ中小企業が担う役割とは?
30年という長きにわたる低迷を経た日本経済。しかしここにきて変化の兆しが生じてきた。賃金アップとそれを価格に転嫁する動きが広がるとともに、サービスの価格が上昇。デフレ脱却への歩みがようやく進み始めた。今後日本経済が再び力強く成長していくためには何が必要なのか。そして日本企業の99.7%を占める中小企業には、何が期待されているのか。日本経済の成長に向けて様々な取り組みを行っている中小企業庁長官・山下隆一氏に話を伺った。
問題は「デフレマインド」だ
チャレンジ精神の醸成が最大の鍵
日本経済は1990年初頭からデフレが続き、ここにきて変化の波が起こり始めました。内閣府は2024年度の経済財政報告で、賃金上昇を価格に転嫁する動きが広がり、モノやサービスの価格が上昇しているとし、「デフレ脱却への歩みは着実に進んでいる」と指摘しました。ですが、まだまだ予断を許さぬ状況ですね。
はい。〝30年続いた経済の病気〟から脱却するための正念場を、いままさに迎えている段階だと考えています。
経済が健全とはいえなかったこれまでの30年間は、コストカット型経済だったとの指摘もあります。山下長官はどのようにお考えですか。
賃金や設備への投資、研究開発への投資などがコストカットの対象となり、経済停滞の一因になったことは確かでしょう。業務の生産性を高めるような、イノベーティブなコストカットなら良いのですが、そうではないものも多かった。経営層から「利益を出すため、来年は〇%原価低減してほしい」などといわれると、現場は徹底してやります。日本人は真面目ですから。入社以来そうした思考でずっと働いてきたコストカットの達人ともいえる世代が、いまは経営層に大勢います。私は様々な企業の経営者とお話しする機会がありますが、そのようなデフレマインドの浸透しきった方が実に多い。
経営が守りに偏り過ぎると、成長の足かせになりかねません。
はい。しかし様々な努力が実って、ようやく賃上げや価格転嫁の動きが波及し始めました。ここで大切なことは「デフレマインド」から脱却し、「成長志向のマインド」へとシフトすることです。この国の経済を変えていこうという気概をもって、成長志向のモードに転換する。そうしたメンタリティが求められています。
賃上げが起こり、価格転嫁された先には、今後の成長に向けた積極的な投資も必要ですね。
はい。2023年のIМF統計データによると、世界の名目GDPランキングが日本はドイツに抜かれて4位になりました。両国のGDPを要因分解して比較すると、大きな差があるのは国内への投資で、他の要因において二国に大差はありません。ここ30年間の日本経済後退の大きな要因になったものは、国内投資の激減なのです。そうした日本の現状を端的に示しているのが、「設備のヴィンテージ(導入年代)」です。これは企業が保有する設備の稼働年数を示すものですが、G7のなかで日本はイタリアに次いで設備の老化が進んでいます。年々歳々、技術革新の速度が増すなか、製造立国である日本にとって由々しき状況です。
老朽化した設備をだましだまし使い、上手に使いこなして利益を出しているのですね。それも日本人の美徳なのかもしれませんが、それでは生産性が高まりません。国内への設備投資の活性化は喫緊の課題ですね。
米国の金融政策策定などを行うFRBの元議長グリーン・スパン氏は、米国がデフレの淵にあった2000年代初頭に、とても興味深い発言をしました。デフレが社会に定着すると、顧客が逃げることを恐れて、原価が上昇しても価格に転嫁しにくくなります。すると企業は、新しいことにチャレンジしなくなるというのです。「新しいことにチャレンジするマインドを失うこと」が最大の問題だと彼が訴えたことから、米国はデフレ経済に陥ることを逃れました。
デフレ経済下の日本をそのまま言い当てたような発言ですね。一刻も早く「デフレマインド」から脱し、忘れかけていた「成長志向のマインド」を喚起させることが、多くの経営者にとって肝要であると感じます。
国内投資が鈍ったことの一因として人口減少が挙げられますが、人口が減っても国民一人あたりのGDPを増やせば経済は活性化します。潜在力溢れる日本国内への投資を、もっと積極的に行って生産性を高める。また海外から日本への投資やインバウンドといった形での需要もどんどん呼び込む。そうした成長志向のマインドがとても重要です
「屈曲点」を捉えた企業経営で成長路線に転じる一策を
先ほどのように、余力ある大手企業には今後の継続的な賃上げや価格転嫁が期待でき、成長路線へと舵を切りやすい状況になりつつあります。しかし日本企業の大多数を占める中小企業には、大企業とは異なる事情もあります。
はい。2024年の春期労使交渉では、中小企業にも賃上げの動きが広がりましたが、従業員の流出を防ぎ、新たな人材を確保するための「防衛的な賃上げ」であった企業が約6割を占めました。デフレから脱却するためには継続的な賃上げが必要であるものの、そうした体力がある企業ばかりではありません。取引適正化によって価格転嫁しやすい環境を整えるべく、公正取引委員会と連携して、下請法改正を力強く進めていきます。また一方、生産性を高めることで賃上げのための余力をつくる必要もあるでしょう。そのためDX推進のためのIT補助金を用意したほか、GXを推進するための省エネ補助金について、3年間で7000億円の予算を確保。支援措置を充実させました。
トランスフォーメーションとは、幼虫がさなぎになり、成虫になる「変態」を指す言葉であり、姿が完全に変わっていくさまです。これまでの延長でなく、事業をドラスティックに変化させるということが大事。企業はそうした別次元への成長を、目指さなくてはいけません。
はい、まさに中小企業には、時代に合わせたドラスティックな変化が求められています。
経済産業省はこれまで中小企業に対して手厚くサポートされてきましたが、2024年には産業競争力強化法の改正案を打ち出し、新たに中堅企業の定義を設けて、支援強化の施策も打ち出しました。
はい。改正案では初めて、従業員2000人以下の企業を「中堅企業」と定義し、9000社(うち約半数は大企業の子会社)をリストアップしました。それら企業は国内への投資や事業拡大などを通して、地域経済に多大な貢献をしています。私たちは中堅企業やその母集団となる成長志向の中小企業を今後の経済成長の有力な担い手であると考え、支援を集中的に強化したいと思っています。もちろん中小企業も、これまでどおりきめ細かく対応します。スタートアップ企業などを増やして若い力を呼び込むとともに、それらを含めた中小企業がいずれ中堅企業、そして大企業へと成長できるよう、引き続き力強く応援していきます。
日本経済の裾野まで活力がいきわたるためには、中小企業や中堅企業の成長が欠かせません。
そのとおりです。成長意欲が高い中小企業や中堅企業には、これまで存続してきた実績や信用力があります。また、事業を継続するためのリソースやネットワークも有しています。成長余力や変化余力がある企業も多い。人口減の日本社会において、これだけ可能性がある資産はとても貴重です。中小企業や中堅企業の力を最大限に活かしていくことが、日本経済の成長と変化の鍵だと確信しています。
そのように可能性溢れる中小企業や中堅企業について、成長の道筋をどう考えられていますか。
「屈曲点」を上手く捉えた政策を展開していくことが大切です。屈曲点とは、会社が大きく変わる瞬間を意味します。まさに先ほど木俣先生がいわれた、トランスフォーメーションの機会です。例えば国内のみで行っていた事業の商圏を海外にまで広げたり、大型の設備投資をしたりするときが、屈曲点にあたります。そのポイントとなるタイミングは、「事業承継」や「M&A」などの際に起こることが多い。転換期を上手に捉え、時代の変化に合った変革がなされることを後押しし、ダイナミックな成長を促したいのです。
例えば、他の企業で経験を積んだ二代目や、他業種から来た人材が事業承継をした際、社外で得た経験や知識、ネットワークなどを活用して、時代とのミスマッチがある祖業を進化させる。あるいは新事業を立ち上げる。そうした屈曲点こそ、企業が一つ上の次元に上がるチャンスですね。
はい。過去の成功体験を踏襲しようとし過ぎるがゆえに、時代のニーズについていけず、停滞しているケースが日本企業には多々見られます。そうした「イノベーションのジレンマ」は、自社内の視点や思考に馴染み過ぎた人だけでは、なかなか変えられません。事業承継やM&Aが屈曲点のための良い機会だというのは、全く異質な考え方や知見、ネットワークを、社内に取り込むチャンスだからです。イノベーションは、異質のものの融合から生じます。屈曲点を活かして時代に合った変化を企業に促していくことが、今後の日本経済を力強く推進させます。
同感です。事業承継は多くの中小企業にとって、最重要課題でもあります。中小企業庁はこれまで事業承継について手厚くサポートされてきましたが、それを大変革と成長の機会にしてほしいですね。
M&Aを含めた事業承継について、中小企業庁は政策パッケージを総動員し、今後もサポートしていきます。事業承継税制の拡充によって、中小企業の事業承継は近年増えていますが、さらに効果が高まるよう、継続的に見直しします。中小企業や中堅企業が自律的に成長できるメカニズムをどうつくっていくかということが、私たちに課せられた役目です。
リーダーが学び続け、研鑽し続ける
いま中小企業や中堅企業に求められるのは、成長志向のマインドに転換し、未来への投資をしていくことだというお話がありました。人材への投資が最も重要になりますね。
おっしゃるとおりです。将来の現場を牽引する人材、また経営を担う人材に対して、投資を行うことは極めて重要です。そうした点において中小企業や中堅企業は、実は大企業よりも有利な点があります。大企業に比べて経営者のガバナンス力が強い傾向にあるので、社長の決断一つで迅速かつ積極的に、社員教育を導入しやすい企業が多いからです。経営者は自社のビジネス環境や将来を洞察し、これという分野を見極め、先んじて学びの機会を設ける視点も必要だと思います。
まったく同感です。決裁権がある人が本腰を入れたとき、組織は初めて変わります。しかし残念ながら教育への投資は、中小企業ではとても少ないのが現状です。日本の企業人の約7割を占める中小企業従業員の教育が進まないようでは、日本経済の成長は加速しません。
本当にそのとおりですね。アチーブメントではどのようなことに力を入れているのですか。
私たちはそうした現状に一石を投じたい気持ちもあり、2027年に週休三日を実現しようと考えています。松下幸之助氏は週休二日制の導入に際して、「一日休養、一日教養」を提唱したといいます。教養がなければ良い仕事はできないと考えたのですね。当社はそれに加えて、もう一日増やした休日を「スキルアップ」に充ててほしいと提言しています。技術革新が早く、ビジネス環境の変化が激しい時代だからこそ、学び続けてほしいのです。教育は人生最大の配当をもたらす投資であると、私は常々考えています。
素晴らしいビジョンですね。今後日本の商品やサービスが世界で戦っていくには、高付加価値化をさらに追求する必要があります。職業人として働きながらも、新しい知識やスキル、教養を高め続けていくという姿勢が大切です。私たちはつねに次代の経済成長の担い手を探しています。そうした企業は、成長意欲が強い人が集まる集団であるはずです。
アチーブメントのセミナーは、企業経営者を始めとしてこれまでに6万名以上の方が受講されています。社会人を対象とした質の高い教育を通して、私たちも日本経済の成長を支えていきたいと思っています。
中小企業、中堅企業の経営者のなかには、ビジネス環境の変化や技術の進化に戸惑いながらも人に相談できず、成長の道筋を探して懊悩されている方が数多くおられます。経営者は本当に孤独なものです。そうした方々に対して、新たな知見にふれる機会や、ネットワークを提供するなどして、応援していくことも我々の使命です。
そのような活動においても、私たちがお手伝いできることがあればぜひ貢献していきたいですね。本日はとても有意義なお話ができました。ありがとうございます。
鹿児島県出身。 1989年に東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)へ入省。 製造産業局鉄鋼課長、経済産業政策局経済産業政策課長、経済産業省大臣官房総務課長、資源エネルギー庁資源・燃料部長などを歴任。途中、産業再生機構に出向し、東京電力ホールディングス取締役などを務める。2024年より中小企業庁長官に就任。