愛することと信じることは一体である。
人を信じて裏切られると辛いものだ。
裏切りは悲しい。
裏切りは辛い。
裏切りは残念なことである。
しかし裏切られたのは自分に原因があるという考え方が大切。
そもそも裏切りという事実は無い、解釈である。
自分が求めていた結果が得られなかったという事実である。
信じる根拠はどこにあったのか?
信じるとはどういうことなのか?
人間の弱さ、ずるさ、儚さを理解してから初めて腹の底から信じれる度量が出来る。
信じるに値する人間は少ない、でもあえて信じること。
まず自分を研究してみたら良い。
自分は自分を信じれるか?
人を信じる前に、自分を信じれる生き方をすること。
それが先だ。
自分を信じれる生き方の出来る人間が、人を信じて裏切られない生き方が出来る。
自分の弱さ、甘さ、至らなさをわかって、はじめて人もそういう存在だとわかるものだ。
それでも人を愛し、信じ、生きていく。
自分の扱い方をまず研究して、はじめて人のマネジメントが出来るようになる。
自分にも人にも甘く、無責任な人間になってはいけない。
人を信じることは、人を愛することにつながっている。
それが証拠に、親は子に何度裏切られても信じ続ける。
夫婦も愛があれば信じ続けるものだ。
神様は我々が何度裏切っても愛し続けてくれている。
愛に気づいて人は内面から変わる、
愛は最大の力。
人を愛し信じれる人間であり続けたい。
「愛が動く時に不可能は可能に」
幸せを祈ります。