今日は新・「頂点への道」講座ピークパフォーマンスコースの3日目である。
2泊3日の研修の最終日である。
今回は108名の指導者、経営者が集まってくれた。
頂点への道シリーズのテーマは人生における真の成功の追求である。
「成功とは目的を遂げること」と広辞林(辞書)にはあるが、
人生の目的を見出し、悔いなき人生を生きることが大切だ。
私は今まで21万人を超える人々の研修を担当してきたが、多くの人に出会って
出た答えは真の成功者とは例外なく人格者であるということがいえる。
金を持っているから成功者ではない。それは単なる「金持ち」ということだ。
親からの遺産を受け継いでも金持ちにはなれるし、外国のくじに当たって
大金を手にする人間もいる。
また以前のライブドアの堀江さんのように不正を働いて金を手に入れている人間もいる。
どのような方法で金持ちになっているかが重要である。
逆に本当の金持ちは金、金とは言わず仕事を大切にして、「他の人々への貢献」を追及しているものだ。
金があることに憧れるのは金の無い人々であり、ある一定の経済的基盤を築きあげた人間は、金の有る無しの基準ではなく、人間としての品性を見る。
自己中心的で利己的な金持ちは嫌われるものだ。
孤独な物持ちタイプといわれる人々は、
金は有るが人間関係に問題を持っていて、愛に飢え渇いているケースが多い。
世界のベストセラー聖書には明確な答えがある。
一番大切な戒めは、「思いを尽くし精神を尽くしあなたの神である主を愛せよ、
自分を愛するように隣人を愛しなさい。」とある。
「神は愛なり」
確かに神を人生の中心に置き、その命令を守って失敗の人生を生きている人は一人もいない。
しかし、これが難しい。
なぜなら人間には原罪といわれる自己中心性が本質的にあるからだ。
そこで、その自己中心性という自分の力では解決できない罪の力から解放される道が
救世主イエス・キリストであるというのが私のキリスト教理解である。
仏教にもおそらく「業」の深さという表現でこの自己中心性に気づかせ、
そこから解放される教えや悟りにいたる道が説かれているのであろう。
いずれにしても、人間は自己中心的な存在であるということだけは間違いない。
だから健全な自己イメージを持つことは本質的に難しいものがある。
神に委ね、日々摂理に従って生きていければ幸福は手に入る。
しかし、われわれ人間には欲がある。
私は偉人と言われた人々の研究を通してひとつの結論を持った。
偉人となった人は例外なく「愛に満ち溢れた人物」であった。
つまり、真の成功者とは人間として“愛を土台とした人生を全うした人物”ということだ。
愛とはどのようなものだろうか?
聖書の中に答えを探してみたが、「愛は寛容であり、愛は親切であり、愛は情け深く、
愛は不義理をせず、おごらず、愛は慎み深く、愛は人を傷つけない」ということである。
さらに、“真の愛は友の為に命を捨てられるものだ”と聖書では教えている。
確かに我々も自分の子どもの為にはいつでも死ねるものだ。
私にも愛する二人の子どもがいるが、子の為ならいつでも死ねる。
ご結婚されている方は配偶者のためにも死ねるだろうか?
恋人時代なら死ねても、配偶者となってからは、年々変わっていく人が多いのではないか?
それはパワー争いの結果である。
お互いに自分の思いどおりにコントロールしようとして、その結果、愛が冷めてしまうことも多々ある。
人間の愛は弱いものだ。
私も強くなったり弱くなったりを繰り返して今は強くなっている。
今の私は配偶者の為なら死ねる。これは本音である。
相手も自分の為にそう思うかどうかはわからないが、コントロールできるのは自分の行為と思考だけである。
「愛せる幸せ」を大切に生きていきたいものだ。
配偶者、子ども、親、社員、友人、隣人、知人、と命を懸けられる人が外側に広がっていくのが順番だろう。
どこまでの広がりで人のために死ねるかがその人の愛の深さのレベルか?
マザー・テレサはインドの貧しい人々の為に生涯を捧げた。
ゆえに偉人になった。
私はまだ修行が足りない。
カルカッタの人の為に死ねといわれると、家族がいるからいやだと思ってしまう自分がいる。
人は愛する人のためなら死ねるが、知らない人のためにはなかなか死ねるものではない。
人間は”人格の完成を目指してこの世で修行をしている”のではないかと考えている。
人格の完成とは愛の人になることであろう。
それゆえに、私は宗教家でも家族を大切に出来ない人は信用しない。
いや世の中には偽善の宗教家が五万といるのが現実だ。
もっとも身近な人の為に生きていけない人が、遠い人の為に尽くすことは出来ないと考えているが間違いだろうか?
私は、自己の確立→家族→社員→顧客→友人→知人の順番に広がっていくタイプだ。
時間の使い方も優先順位も明確だ。
改正前の教育基本法、第一条「教育の目的」が私の仕事の指針である。
「教育は人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、
真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた、
心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」というものだ。
今の社会にもっとも必要なもの、それは愛を土台とした人格形成教育である。
そうすれば、今のような様々な社会問題も軽減されると信じている。
世の中に真の指導者、ならびに成功者を育成していくことが、我々の事業の目的である。
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