先週の土曜日、私の秘書である嵩下君の
結婚式に参加してきた。
新郎新婦共に、クリスチャンとして信仰を持ち歩んでいる
二人の結婚式は、新婦が通っている母教会である
淀橋教会で行われた。
神様の愛に包まれた、
素晴らしい結婚式であった。
結婚式は、飾りではなく、
今後の二人の歩みを神と人の前で誓う、神聖な儀式である。
夫は妻を愛し、妻は夫を敬い、
健やかなる時も、病める時も、
いかなるときも生涯はなれず、共に歩むことを誓うという
これが結婚である。
そして、神の前で誓われた誓いは永遠であり、
今後二人は生涯かけて、この誓いを心に抱きながら
日々を歩んでいくわけである。
現代社会では2分4秒にひと組のカップルが離婚しているということである。
いろいろ諸事情はあるとは思うが幸せな結婚の秘訣は価値観の共有であろう。
バイブルには
「何事でも他の人々にもして欲しいと望むとおりのことを他の人々にもそのようにしなさい」
とあるがこのことがなかなか出来ないところに人間関係の難しさがある。
神様を第一とした人生を生きる二人には秩序が与えられている。
聖書を生活規範に置いた人生には別れは無い。
また、教会の地下で行われた披露パーティでは
新婦の知人数名が素晴らしい賛美をおこなってくれた。
賛美とは、クリスチャンが神様の事を褒めたたえ、
歌うことであるが、
この賛美の歌詞が、私の心にとても残った。
『きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が 私にはどれほど大きな喜びでしょう
きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている
きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている』
“きみは愛されるため生まれた”
これはまさしく、私が皆さんにお伝えしたいと思っている
私にとっての事実であり、
辛さや、困難を覚えている人、
限界を覚えて、一歩前に進めないと思っている人、
自分の存在価値を否定してしまうような状況に居る人に
是非覚えてほしいメッセージである。
そしてこの愛が、私たち人間誰しもが
必要としている愛であると私は考える。
私も愛に出逢い変えられた一人である。
無学で家柄もなく貧乏でひ弱な私が変えられたのは神様のおかげである。
人は愛に出逢い、自分を知り、人生が変わる。
愛を人生の中心に置く人生には祝福と繁栄がもたらされる。
人は本物の愛に触れられると変わるのである。
今後のお二人の歩みが、祝福されたものとなるよう
祈りつつ本日のブログとする。