生きている人の数だけこの世はある。
この世は一つではない。
人の知覚の中に現実がある。事実と現実は違う。事実は実存の世界、現実は解釈の世界。
幸せ、不幸は解釈である。
今手元になにがしかの金がある。これは事実だが、この金額が多い、少ないは現実である。
私はできる。私はできない。どちらも正しい。
私には価値がある。私には価値はない。どちらも正しい。
すべては人の知覚の中にある。
快適感情と不快感情が入り混じる世界。
同じ人生を生きるなら快適感情の中に生きていきたい。
不快感情は苦しいものだ。
他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。
常に自分自身をコントロールし、気分よく生きていくことが生きる技術である。
問題がその人を駄目にするのではない、問題に対する捉え方が人を駄目にするのである。
一寸の虫にも五分の魂という言葉があるが、小さな子どもにも主張がある。
泥棒にも泥棒するだけの主張がある。社会環境や育った環境や親の夫婦中の悪さや様々な理由である。すべてその人にとっては正しい。
自己正当化は現実である。
易者の作り出す現実を生きて、それを事実とする人もいる。
人のつくった現実に生きるのではなく、自ら現実を創り出せる人間になることである。
私は私の信じる道を生きる。
今までもそうだったし、これからも成功の原理原則を学び体得し人生に役立て、物心ともに豊かな人生を選択し続ける。
「何事でも人々からして欲しいと思うことを他の人にもそのようにしなさい」
聖書の神様からのメッセージを「はい」と実行するだけである。
信仰とはまだ見ぬ事実を確認し、信じその教えを実践することによって現実を事実にしていく道程である。
29歳でバイブルに出逢い、人生は変わった。
それは事実である。現実ではない。
私を変えていただいた、聖書の神様に感謝します。
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