私の職業は会社役員としての経営者としての顔と、専門職業人として能力開発コンサルタント及びプロ研修講師の顔がある。
但し、この社長という顔は本田技研の創業者であり、偉大なエンジニアであった本田宗一郎氏のように、副社長の藤沢氏がいて成り立っている社長である。
弊社の場合は、専務や多くの素晴らしい人材が私を支えてくれていると感謝している。
研修講師としての私は一言でいえばストイック(異常にこだわりを持って仕事に取り組むタイプ)である。
この分野に関しては誰にも口を出させないし、この世界は“私の存在”そのものである。
アチーブメントを世界最高峰の人材教育コンサルティグ企業に育てていきたいという私の夢は、今後、弊社の優秀な人材に引き継がれ、必ず具現化していくことになるが、私の人材教育に賭ける思いは尋常ではない。
何故ここまで思いが強いのか?
説明はいらない。
内から突き動かされるものがある。
私は社会的にみれば、一時代前ならば、家柄や出身は平民以下である。
豊臣秀吉も水飲み百姓から成り上がって天下人になったが、私自身の父も母も貰われっ子である。
その養子と養女の結婚から私が生まれた。
北海道の函館で生まれ、札幌で義母に育てられた私は義母には心から感謝している。
子どもの頃はいろいろな体験があったが、全てに感謝している。
生みの親のいる東京に立身出世を目指して十代で上京し、様々な職業を経験し、いろいろな学習を通して能力開発に目覚めたわけだ。
“人は変われる”
しかし“人を変えることは出来ない”と思う。
私は良くなりたい、もっと良くなりたいと思い続けて生きてきたし、今もその心が私の心を支配している。
いわゆる”向上心が服を着て歩いているのが私”である。
これは理屈はいらない世界である。
ロックのスーパースターの矢沢永吉さんに、「何故あなたはロックンロールを歌うのですか?」と聞く人はいないと思うが、私も理屈抜きで個人的にも能力開発が好きだし、他の人々の人生の質の向上をサポートすることに生きがいを感じる。
もっと良くなる。
決して今が悪いわけではない。
しかし、もっともっと良くなりたい。
”一度の人生、二度ない人生を輝いて生きていきたい”
今日、米国のボストンから一路成田に向かう。
明日から又東京での戦いが始まる。
弱い自分、未熟な自分と戦う日々が始まる。
後、何年生きられるかは神様だけが知っている世界だが、最後の最後まで“自分の本領”を発揮して生きていきたいと思っている。
はじめまして、Hyugaと申します。
青木さんの書籍を拝読、CDを拝聴しました。
真心と情熱を持って仕事に取り組まれる姿勢に感銘を受けました。
一点興味があり伺うのですが、仕事に情熱を注ぐあまり、家庭がおろそかになるという、日本のビジネス社会の傾向に関してはどのようにお考えですか?
私は人生の土台は価値観であり、その上に家庭人としての自分、そしてコミュニティーの中での自分、職業人としての自分があると考えています。
これらは密接に関わっており、一概にどちらが大事かと比較することは出来ないと思いますが、職業人として全力を尽くして打ち込むと同時に、ご家庭をお持ちの青木社長としてはどのように優先順位を付けてこられたか興味があるところです。